「一味」は、みな平等で無差別であるという仏教の教えが由来です。
みな平等で無差別であるという事が、心を同じくして協力し合うことや、同志という良い意味合いが、いつしか悪だくみをしているグループみたいな悪い意味合いに変わってきました。
一味の由来とともに、どのように意味が変化していったのか紹介します。
「一味」の由来は仏教の教え
「一味」は、みな平等で無差別であるという仏教の教えが由来となっています。
流れてくる河川が違っても大海に入ればみな同じであるように、人も生まれや能力によって分け隔てする必要はないというブッダの教えです。
皆同一、皆平等という意味から、いつしか「一味」は心を同じくして協力し合うことや、同志の意味として使われるようになりました。
「一味」が高貴な意味からマイナスな意味に変化した理由
「一味」が平等無差別という高貴な意味から、悪だくみをするといったマイナスなイメージの意味合いで使われるようになったのは、一揆が理由です。
同士が集まり連携するという意味もあった「一味」は、通常の手段では、解決が難しいことを目的に集まったもの同士で、一揆が行われた際にも使用されるようになりました。
一揆は、主に領主や幕府などに反抗するために同じ心を持ったもの同士が集まって結成されました。
領主や幕府へ同じく不満を持っている人々からすると、一揆は正義的な行いでした。
しかし、領主や幕府側からすると自分たちに反抗する、悪い奴らとして映っていました。
立場の違いによって、一揆の捉え方が違っていることから「一味」の意味合いにも変化が見られたのではないかと言われています。
仏教用語発祥の言葉
「一味」のように、仏教用語が発祥となっている言葉は他にもいくつかあります。
自由
「自由」も仏教用語からきている言葉のひとつです。
自由の意味
「自由」は仏教用語で「自らに由る」という意味があります。
他に依存せず自立して存在していることから、「さとり」を表す言葉として使われていました。
自由の語源
「自由」の語源は、インドの古い言葉であるサンスクリット語だと言われています。
サンスクリット語の「スヴァヤン」という言葉には、独立自存という意味があり、「自由」と同じ意味合いでした。
サンスクリット語の「スヴァヤン」が漢語に訳されたものが「自由」になります。
大丈夫
現代でも広く使われている「大丈夫」も、仏教由来の言葉です。
大丈夫の意味
「大丈夫」は、丈夫なさまや、非常に気が強いさま、極めてしっかりしているさまという意味があります。
大丈夫の語源
「大丈夫」は仏の尊称として用いられる仏教用語が語源となっています。
元々は、学識や人徳の備わった人を「丈夫」と褒めたたえていたところにはじまります。
その後、シルクロードに乗って仏教が伝来した際に、「丈夫」に美称の「大」を付けて「大丈夫」として仏の呼び方に使われるようになりました。
仏の呼び方には、一般的に10種類の呼び方があります。
10種類の仏の呼び方の中で、「巧みに人を導く人」という意味で「大丈夫」が使われ、現代の「大丈夫」の語源となりました。
道場
剣道や柔道などを行う「道場」も、元々は仏教由来の言葉です。
道場の意味
「道場」は、お釈迦様のさとりの場を表す言葉でした。
お釈迦様のさとりの場を表す「道場」は、その後念仏修行の場を指す言葉として日本で広く使われるようになったようです。
現代使われている「道場」は念仏修行の場の意味から派生したものです。
道場の語源
そもそも「道場」は、念仏を語り合う人々が集まっていた場所という意味から始まりました。
その後、「道場」に僧侶が入り、祖先を奉る仕事を受け持つようになったことで、「○○寺」という寺号を取得していくようになりました。
すると寺になれなかった所、寺に値しない所として「道場」が残り、寺よりランクの低い所を指す言葉となりました。
元々仏道修行の場という意味があった「道場」は、明治時代以降、剣道や柔道の修行の場の意味へ派生して現代まで使われる言葉となったのですね。
「一味神水」の意味
「一味」を使った熟語に「一味神水」という言葉があります。
「一味神水」とは一揆を行う際に、「一味」を組んだ集団が終結し、集団で誓約をする儀式の事を指します。
神社の境内に集まり、一揆に参加するもの全員が誓約条項へ署名をしました。
署名された誓約条項は焼いて灰にされた後、神へお供えしたお水である「神水」へ混ぜて回し飲みすることが、正式な作法とされていたそうです。
神様の前で誓約をすることで、「一味」の結合を深めようとしていたようです。