「女心と秋の空」という言葉は、元々は、「男心と秋の空」でした。
意味は殆ど同じです。
この記事では、「男」から「女」に何故変わったのか?いつから、言葉の中の性別が変わったのかを紹介します。
女心と秋の空の由来は男心と秋の空
「女心と秋の空」はもともと「男心と秋の空」という言葉が由来になっています。
男心と秋の空が使われ始めたのは室町時代から
男性よりも女性の地位が低かった室町時代には、夫や恋人の移り気に悩まされている女性が多かったようです。
当時、女性は愛される立場であったため浮気や遊びは極端に禁じられていました。
その一方で、男性は浮気をするのが常だと認識されていました。
そのため、若い女性に男性を警戒するよう諭したり、女性が別れた際の励ましの言葉としても使われていたようです。
女性は、男性の移り気には寛容な心を持っていたものの、あまりの男心の移ろい様に、泣かされている女性も多かったと言われています。
女心と秋の空が使われ始めたのは明治時代から
女心と秋の空は、明治時代以降に使われるようになりました。
明治時代に入ると西洋文化の影響で女性の地位が向上するようになりました。
今までの、男尊女卑な恋愛の価値観にも変化が生まれてくると、女性が意思表示をすることも容易になってきます。
そこで、浮気など許されなかった女性たちは地位を獲得することで、古い男を捨てて新しい男に乗り換えることも多くなりました。
その頃から、「男心と秋の空」は「女心と秋の空」に変換されて使用されるようになったのですね。
「女心と秋の空」と「男心と秋の空」の意味の違い
「女心と秋の空」と「男心と秋の空」の違いは、心で何を思うかの違いです。
「男心と秋の空」の場合は、愛情や恋心の移り気についての意味があります。
一方で、「女心と秋の空」は愛情の意味に加え、感情の起伏が激しいという意味もあります。
女性は、女性ホルモンの影響で喜怒哀楽が激しくなってしまう時期がありますが、女性特有の感情の変化の激しさも「女心と秋の空」には含まれているのですね。
秋の空は本当に変化が早いのか?
「女心と秋の空」に使われる秋の空は、実際に変化が激しいです。
秋は、低気圧と高気圧が上空を交互に行き交っているため、天気がころころ変化しています。
また、秋は空だけでなく気温の変化が大きいのも特徴です。
朝は冷え込みが強いですが、日中は日差しが強く照り付けるので朝晩の気温差が10度を超える事もあります。
春、夏、冬の空は変化が遅い?
では、秋以外の季節春、夏、冬の空の変化は遅いのでしょうか。
春
春は、秋に比べると空の変化はゆっくりと言えます。
冬の冷たい空気と春の強い日差しが混ざることで、さまざまな種類の雲を見ることができますが、ほとんどの場合空一面に薄く雲がかかっている状態がずっと続きます。
天候の変化もあまりないため、ぽかぽかと暖かい日が続きます。
夏
夏の天気は、比較的不安定な空だと言われています。
夏は湿度が高いため、日中にカンカン照りだったとしても、夕方になると空が不安定になり夕立などが降ることがあります。
1日の空の変化は激しいですが、夏の季節を通してみれば同じような空模様と言えるのではないでしょうか。
冬
冬は、四季の中でも一番空の変化がない季節と言われています。
冬の空は澄んだ薄青色で、雲も無いすっきりとした晴れの日が多いです。
空気が乾燥していて水滴ができづらいので、空の変化も少ないのですね。
女心と秋の空の類義語
女心の激しく移ろいやすい様を表す「女心と秋の空」には、類義語もいくつか存在します。
女の心は猫の目
「女の心は猫の目」は、女心の変化を猫の目の代わり様に例えた言い回しです。
猫の目は、場所の明るさによって瞳孔がまん丸になったり、細くなったり、激しく変わります。
その様が、女性の感情の起伏の大きさに似ていることからそう言われています。
測り難(がた)きは人心
「測り難きは人心」とは、人の心ほど理解のしずらいものはないという意味です。
人の心は、誰も覗くことができず、人が表に出している部分でははかり知れません。
そのため、実際には何を考えているかは、他人からは推測できないのです。
女性は心がコロコロ変わるが、その真意は誰にも理解できないのと同じですね。
男心と秋の空は七度変わる
「男心と秋の空は七度変わる」も「女心と秋の空」の類義語です。
「男心と秋の空は七度変わる」は、一日のうちに7回も変化が起きるという意味です。
「男心と秋の空」のように、男の心は変化が激しく移り変わりやすいのです。
男女ともに、心変わりしやすいという言葉があるように、人間の心というものは、そもそも移ろいやすいものなのでしょうね。
女心と秋の空は、英語では風見鶏
英語で「女心と秋の空」を表す場合“A woman is a weathercock.”(女は風見鶏だ)と表現します。
風が吹く方向によって、コロコロと向きを変える風見鶏は、コロコロ感情が変化する女性と同じだというたとえです。
英語圏では、「心変わりは女性の特権だから、男性は容認すべき」という風習があるようで、レディーファーストの文化が深く根付いている英語圏らしく女性を立てる習慣があるのですね。
英語圏では、必ずしも秋の空が変わりやすいとは限りませんから、風見鶏で例えるのは世界共通に使える、いい表現ではないでしょうか。