馬耳東風の語源・由来は李白の話を聞いてという嘆きの詩

馬耳東風の語源・由来は、古代中国の詩人である李白が作った詩の一節に由来します。

それではどのような心情を詠んだ詩なのかを紹介します。

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馬耳東風の由来は、李白の嘆きの詩から生まれた

「馬耳東風」は、

唐の詩人・李白の

『答王十二寒夜独有懐』にある「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り」。
訳:(世の人達は頭を振って聞き入れない。まるで春風が馬の耳に吹くようなものである)

という詩が由来とされています。

 

馬耳東風の「馬耳」は、文字通り「馬の耳」。

「東風」は、東から吹く暖かい風で「春風」の意味を表します。

つまり、

人は春の風(東からの風)が吹けば、春が来たと喜ぶが、馬の耳に春の風が吹き抜けても、馬には何の感動も関係もない事。

というたとえです。

そこから「馬耳東風」は、「人の話や忠告をまともに聞かないで、そのまま知らん顔をしていること」ということわざになりました。

「馬耳東風」の由来にもなった詩人・李白の心情とは?

「馬耳東風」のルーツでもある、李白の『答王十二寒夜独有懐』の中にある、

「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り」の部分をもっと掘り下げていくと、

 

「世間の人たちは、これまでの概念や思い込みが根付いており、詩を聞いてもその良さや価値をわかってもらえず、頭を振って評価をしてくれない。まるで馬の耳に春風が吹くようなものである。」

 

といったような現代でもわかりやすい語訳がされていました。

つまり「馬耳東風」は、才能のある詩人の作品が世間ではわかってもらえないことが語源につながります。

李白は、人が感動するような詩を作ったのに、誰も耳を貸してくれない、聞いてもくれない、という悲哀の心情で、この詩を作ったと言われています。

 

これを現代に置き換えると、YouTubeなど誰でも作品を提供できる時代になってきて、「流行らそうと一生懸命つくったのに、バズらない!再生回数が増えない!世間は自分をわかってくれない!」と言っているようなものですね。

しかし、結果として李白は有名な詩人として名を残しますから、

「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り」という憂いの心情で作った李白の詩は、古代中国の世で見事にバズったと思います。

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馬の耳は感度が低いのは本当か?

馬の耳は、超音波など人間には聞こえない音まで聞くことができるくらい、非常に発達しています。

また耳で周囲の状況や人の気配などを察知するので、急に人間が近づいてきますと、馬は警戒してしまいます。

馬は耳で状況を把握して、感情表現をすることから、むしろ他の動物よりも耳の感度も高いと言えます。

 

馬耳東風と馬の耳に念仏との違い

「意見を聞かない」か「意見の内容を理解できない」意見の捉え方で違う

馬耳東風とは、

「人の意見に耳を貸さないこと、何を言っても聞き流すこと。」

であり、聞く意思がないことを象徴します。

 

馬の耳に念仏とは

「いくら言い聞かせてもその価値がわからないさま。効果がないさま」

であり、理解力がないので、愚かさを含んだ意味を持ちます。

 

両方とも「他人の意見を聞かない」ことを意味しますが、「風」と「念仏」で大きく意味合いが変わってきます。

そして最大の違いは、「馬の耳に念仏」は相手を愚かだとする意味があるので、相手に気を付けて言葉を使いましょう。

 

実は、「馬の耳に念仏」の由来は「馬耳東風」。

「馬耳東風」の故事成語が日本に伝わった後、歌舞伎界で「何を言っても馬の耳に風」という台詞が誕生し、そこから「馬の耳に風」ということわざが作られました。

やがて「風」から「念仏」に変わり、「馬の耳に念仏」ということわざが作られました。

似たようなことわざで使われていたこの言葉は、相互関係を持っていました。

 

・馬耳東風は聞く意思がない、馬の耳に念仏の違いは理解力がない。
「馬の耳に念仏」も由来は「馬耳東風」だが、相手を馬鹿にしている意味合いがより強いので使い方には注意

「馬」が付く故事成語・ことわざ・慣用句の意味と語源

牛は牛連れ、馬は馬連れ

「牛は牛連れ、馬は馬連れ」の意味

似ているものは自然と集まりやすいこと、似た者同士だと何もかもうまく行くということ。

「牛は牛連れ、馬は馬連れ」の語源

牛と馬では足並みが揃わないが、牛同士、馬同士であれば、足並みが揃って歩調も合うことから「牛は牛連れ、馬は馬連れ」という言葉ができました。

 

馬は馬方

「馬は馬方」の意味

その道の専門家というのは、専門家だからこそ優れていること。

その道のことは、その専門家に聞くのが一番で、間違いないという意味。

「馬は馬方」の語源

「馬方」とは馬に荷物を運ばせる職人のことを指し、その職人が馬を扱えば、意のままに馬を動かせるが、素人が馬を扱おうとしても馬から相手にされないことが由来とされています。

 

馬を牛に乗りかえる

「馬を牛に乗りかえる」の意味

優れている方を捨て、劣っている方に変えること

「馬を牛に乗りかえる」の語源

走りの速い馬から、あゆみが遅い牛に乗り換えたことから由来。

現代でたとえると、

「時代に合わせてスマホにしたけど、ガラケーの方が馴染みもあって使いやすいから、時期が経ったら、ガラケーに戻そう。」

例文から、人によっては、物の使いやすさ・相性などで、あえて劣っている方を選択するというのも、立派なおこないだと言えますね。

 

ちなみに、「牛を馬に乗り換える」という言葉もあり、意味は「馬を牛に乗りかえる」の逆で、劣っているものから優れているものに変えるという意味です。

先ほどの例文を踏まえると、「ガラケーからスマホに切り替える」という文章になりますね。

 

「青天を衝け」も語源は漢詩

NHK大河ドラマのタイトルである「青天を衝け」は、『勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征』という、渋沢栄一が自身で作ったとされる漢詩が由来です。

これは渋沢 栄一が19歳の時に、道中で詠んだ漢詩であり、

前半部分の「衝青天」がそのままタイトルに名付けされ、「青天を衝け」になりました。

 

現代語訳にすると、

「青空をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む」という意味で、逆境に立ち向かう人生を表現しています。

そのあと渋沢 栄一は言うまでもなく、次々と多くの事業を成功させていますね。

 

では渋沢 栄一はなぜ、漢詩が読めたのかというと、次の理由が挙げられます。

・渋沢が6歳のころから、父から漢詩を学び、文学や詩づくりに没頭していた。

・歩きながらでも読書をするという大の読書好き。

(昔はどうだったか知りませんが、現代では当然の如くご法度です。)

このことから、19歳という若さで『勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征』という立派な漢詩が詠めたのも頷けますね。

 

そして読書や勉強好きが高じて、渋沢は多くの著作を記したとされ、著作の大半以上は、古代中国の文献や自作の漢詩から取り入れたと言われています。

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