祝うの語源は神様にお祈りをする「斎ふ」であり平安時代に生まれた言葉

祝うの語源は、「斎ふ(いわふ)」という神様へお祈りをするという意味の言葉です。

そのため祝うは以前はお祈りの意味合いが強かったのですが、平安時代ごろから、相手の幸せを祈る⇒祝福するという現代のような意味になりました。

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祝うの語源は、神に祈るという意味のから「斎ふ(いわふ)」からきている

「祝う」は元々は吉事を求めておまじないをすること

祝うという言葉は「斎ふ(いわふ)」が語源とされ、当初は祭礼の儀式や神道にまつわる意味で使われていました。

「いわふ」は「い」と「わふ」で言葉が分かれ、「斎(い)」は神聖なもので、汚れがない清らかなことを意味します。

「わふ」は動詞で(例:にぎわう・あじわうなど)で「斎ふ(いわふ)」となります。

「斎ふ」は神様の前で吉事を求めて神事やおまじないを行う、つまり神様にお祈りをすることが「祝う」の由来となったわけです。

 

ちなみに「斎」という漢字は、後に「斎宮(さいぐう)」「斎場(さいじょう)」という現代で馴染みのある言葉として使われていますが、これらのルーツは神道が関係していることがすぐに理解できますね。

 

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「祝う」が現代と同じ祝福する意味で使われたのは平安時代から

現代とは違って「祝ふ」の意味は「斎ふ」と似たような意味を持っていました。

  • 吉事を祝福したり、祈ったりすると、願いが実現するという呪術(おまじない)の一種。
  • 神様に祈りを捧げて、身や心を清め、汚れた行いをつつしむこと。
  • 相手の幸運を祈る、または縁起の良い言葉をかけること。

古代では「祝う」は語源どおり、祈りの働きかけを意味するものでした。

 

ですが平安時代以降では、相手の幸せを祈ることから、祝福の意が生じ、「祝う」は現代と同じ「祝福する」という意味で使われるようになりました。

 

かつては「祝」という神職がいた

「祝」は神職の役職名。

神道での「祝」は「ほうり・はふり」と読み、古代で神社や祭祀に従事した神職の一種で、また祝子(ほうりこ)、祝部(ほうりべ)とも呼ばれます。

「ほうり・はふり」の語義としては、神前に衣の袖を振り払い、祝詞を告げたことから「羽振・はふり」という説があります。

 

役職の位として「祝」は、トップの「神主」から次に「禰宜 (ねぎ) 」の順になり、下級神職に当たりますが、小さな規模の神社などでは、最初から「祝」一人で司るところもありました。

 

神社の中には「祝」だけでも種類があり、たとえば鎌倉時代初期に長野県の諏訪大社では、「大祝(おおほうり)、権祝(ごんのほうり)、擬祝(こりの)、副祝(そえの)」などが序列として存在していました。

このうち、大祝(おおほうり)という役職は、生き神のような存在として人々に崇められたようです。

 

神主は現在では、神職一般としてくくられる。

古代「神主」は役職トップでしたが、現在では「神主」は神職一般を指すようになりました。

現在の神職の職名はこのようになっています。

宮司(ぐうじ)… 神社の代表者であり、基本的に神社に一人しかいません。
権宮司(ごんぐうじ)… 神社の副代表
禰宜(ねぎ)… 宮司の補佐、管理職
権禰宜(ごんねぎ)… 一般職員
出仕(しゅっし)… 見習い

これをひとまとめにした言葉が「神主」となります。

 

また神職は経歴や功績などを基準にして、資格身分が6等級に設定され、以下のように袴の色で区別されています。

「特級(白色に白紋)」…神社本庁統理と神宮の大宮司が無条件で対象。(全国の神主21000人中70名しかいない)
「一級(紫色に白紋)」…神宮の少宮司が無条件で対象。
「二級上(紫色に薄紫紋)」…神宮の禰宜もしくは神社の宮司や権宮司が無条件で対象。(二級の中から選ばれた者)「二級(紫・紋無)」…神宮の禰宜もしくは神社の宮司や権宮司が無条件で対象。(三級神職者の中から選考を経た者)「三級・四級(共に浅黄・紋無)」…三級→神社の禰宜及び権禰宜が無条件で対象。四級→直階の権禰宜が無条件で対象。(直階: 5段階の階位があり、その一番下の階位)

 神主様の中でも、袴の色で上下関係が決められており、今度神社で、神主様を見かけたら、袴を見てみると位がわかるので面白いかもしれません。

 

「祝」という漢字の成り立ち

「祝」は祭壇と神主で成り立っている

「祝」の「示」へんは、祭壇を表します(同じく「祭」にも「示」が入っています。)

「祝」の「兄」は、祭祀を執行する人物・神主を意味します。

よって二つの漢字が合わさり「祝」:祭壇で神主が神に祈りを捧げるという意味になりました。

 

ちなみに、「兄(けい)」というのは兄弟のうち長男を神主にしていたため、先に生まれた男子として「あに」として解釈されるようになりました。

「祝」は会意文字

「祝」のような、形や様子を表す二つの漢字が合わさって成り立つ漢字を「会意文字」といいます。

他にも、有名な漢字として、

・「人」が「木」で

・「日」と「月」でるい

などが挙げられます。

 

祝日と祭日の違い

「国」と「皇室」で区別される

・「祝日」とは「国が定めた祝いの日」、法律で定められている休日のことです。

・「祭日」とは「皇室祭祀令」で制定されていて、皇室の儀式や祭典を行うの日のことをいいます。

同じ休日でも、国か皇室かで別々で制定されていたため、この二つは別物となります。

 

一部の祭日が、法令で祝日として扱うようになった

祭日は皇室の儀式や祭祀を行う日として制定されていましたが、1947年に廃止されました。

しかし、祭日の一部は名前を変えて、祝日として扱われたものがあり、以下のものが挙げられます。

・「四方節」→元旦 1月1日
・「紀元節」→建国記念の日 2月11日
・「春季皇霊」→春分の日 3月20日・21日
・「昭和天皇の誕生日」→昭和の日 4月29日
・「秋季皇霊祭」→秋分の日 9月22日・23日
・「明治節(明治天皇の誕生日)」→文化の日 11月3日
・「新嘗祭」→勤労感謝の日 11月23日

現在では祝日としての概念を持つこれらの日は、戦前まではこの日に皇室の祭礼などが行われていました。

名残として、祭日が存在していた世代から、現在でも祝日を「祭日」と呼ばれることもあれば、「祝祭日」と記載しているカレンダーなどもあります。

祭日は祝日とは違って名前からして、なにか神聖なるものを感じさせますね。

 

成人式の由来は中国の成人儀式の「冠礼」

成人式は通過儀礼の一種

「成人式」のルーツは中国が紀元前200年頃から行われていた『冠礼』がルーツとされています。

『冠礼』とはそのままの意味で、成人になると冠を被せるといった儀式でした。

現在の言葉で「冠婚葬祭」の「冠」の部分が成人式にあたるのは、これが関係しています。

日本に伝わったのは奈良時代のことで、上流階級のみ行われる通過儀礼のひとつで、成人儀礼と呼ばれていました。

 

当初の成人儀礼は現在と勝手が違う

男子が行った成人儀礼は『元服』といわれ、12~16歳の男子が対象とされ、前髪を落としてマゲを結い、服装も大人のものにして、この儀礼を境に幼名だった名前を改名していました。

女性の場合は『裳着(もぎ)』と言われ、こちらも同じく、数え年で12~16歳の女子が儀式で髪を結い上げ、大人の服装に変わっていきました。

 

そして、江戸時代以降では、男女ともに「元服」と呼ばれるようになり、その頃には武家も庶民も階級の関係なく、成人儀礼を行うようになっていきました。

そこからさらに時代は進み、今の成人式のような形のはじまりとして、1946年に埼玉県の蕨市で開催された「青年祭」だと言われています。

日本政府が「青年祭」の影響をうけ、1949年から1月15日を「成人の日」を祝日と定め、これを起点に全国各地で成人式を行うようになりました。

2000年からは「ハッピーマンデー法」が施行され、「成人の日」が1月の第2月曜日に変更となり、現在に至っています。

 

振袖と「祝い」のつながり

今や成人式の女子の第一礼装として振袖が着られていますが、その理由としては「厄払い」が挙げられます。

袖を振ることは、魔や厄を振り払うことになり、病気や厄など悪いものに取り憑かれないようにという願いを込めて、振袖を着るという習わしがありました。

袖の長さが長ければ長いほど、振り払う効果が大きいとも言われ、振袖の袖が長いのはこうした理由だったのですね。

 

成人祝いに振袖を着るのは【人生の門出に身や心を清める】という役割や意味を持ち、これが「祝う」の語源でもある「神前に身や心を清める」に繋がっていきます。

さらに袖を振り払う仕草は、まさに神主様のお祓い棒での払いの仕草を思い出させますので、振袖と「祝い」には何か感慨深いものを感じさせますね。

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